宮盛神楽
宮盛保存会
歴史
神楽の起源は不明だが、地区住民が神楽を始める前は、下蒲刈島下島地区の梅崎神社宮司である内藤氏が舞子二人を連れてきて舞っていた。『下蒲刈町史』によれば、舞子は神楽を舞うだけでなく、脇太夫として祭りにおいて宮司を補佐する存在で、内藤氏と舞子は神楽太夫として下蒲刈島・蒲刈島の各地区で舞っていたことがうかがえる。由来を記した文書等は残っておらず、前述した大正五年の「神楽縁起」が現在のところ最も古い史料である。「神楽縁起」に収められた演目数は多いが、宮盛においては神楽太夫が舞っていた時代でも台本すべての演目を舞うことはなく、現在とほぼ同内容の演目が演じられていた。 その後、時期は不明だが神楽太夫の神楽が行われなくなると、地区住民による神楽が見よう見まねで行われるようになり、今日に至っている。
特徴
現在の主な奉納演目は、「恵比須大明神縁起」「吉丸縁起」「提婆縁起」「獅子舞」の4つである。舞の基本動作として、拝殿の入口側を「北」と見立て、反時計回りに巡りながら東西南北の各方角へ向かって所作を行う点に特徴がある。 宮盛神楽の最大の魅力は、神楽が単なる前夜祭の芸能にとどまらず、翌日の本祭における「神幸行列」と深く物語として結びついている点にあり,前夜の舞台で神楽の威徳によって改心し、清められた悪鬼「提婆(だいば)」は、翌日の行列では最も清らかな存在として先頭に立ち、境内のしめ縄を切って御神輿の出発を切り開く。
組織
宮盛地区在住者及び地区出身者を保存会員の対象にしており、現在では十数名が活動に関わっている。宮盛保存会が組織化されたのは平成二十五年のことで、それ以前にも昭和時代には地区住民が神楽を舞っていたが、保存会の設立前には区長が舞い手を探すような状況があり、それが難しくなってきたことから組織的な活動を行うために保存会が設立された。
- 場所
- 亀山八幡宮 呉市蒲刈町宮盛
MAPはこちら - 日程
- 9月
最終土曜日 - 代表者
- 宮盛保存会 会長 沖本国男
- 演目
- 恵比須大明神縁起、吉丸縁起、提婆縁起、獅子舞